昨年2006年、タイを訪れた日本人旅行者数はおよそ120万人。日本人にとってタイは、世界で最も近しい国の一つなのです。
一方、タイ人は、ASEANが行った世論調査によれば、89%の人達が日本を友好国とみなしており、対日感情は極めて良好と言えます。
現在、タイに在留する日本人は3万人を超え、長期滞在しているビジネスマンの数を含めれば、その数は2倍以上にもなると見られています。日本に在留するタイ人の数も3万5000人を超え、両国の人的交流は年を追って盛んになってきています。
アユタヤ時代にも日タイの交流が
タイと日本との交流の歴史は非常に古く、1338年、将軍・足利義満のときに、暹羅(せんら=シャム、現在のタイ)船が1年間日本に滞在したという記録もあります。15世紀前半から16世紀後半にかけては、沖縄(琉球王国)を経由して東南アジアに派遣された多くの船がシャムを訪れています。
16世紀末、豊臣秀吉が南蛮貿易を奨励し、
呂宋(ルソン、フィリピン)、東京(トンキン、北ヴェトナム)、占城(チャンパ、南ヴェトナム)などと共に、現在のタイ領内の暹羅(アユタヤ)や六昆(ナコンシータマラート)に渡航する日本船も増え、1636年、徳川家光のときに幕府によって鎖国令が出されるまで、異国渡海朱印状を発給された御朱印船が交易を担いました。御朱印船によって日本にもたらされたものは、染料として用いられた蘇木(すおう)や、鹿皮、鮫皮が主な品目でした。
アユタヤにはバーン・ジープン(日本人町)が形成され、最盛時には1500人もの日本人居留民が対日貿易に関わり、駿河に生まれた山田仁左衛門長政が王の信任を得て大活躍したのもこの頃です。往時の面影はありませんが、チャオプラヤー川とその支流に囲まれたアユタヤの町の南には、今も日本人町跡があります。
また、アユタヤ王朝からの使節が日本を訪れたことが何回もあり、1616年には、外務・大蔵大臣の書簡を携えた最初の使節が日本を訪れたという記録が残されています。
今年は日タイ修好120周年
長い鎖国の時代を経て近代となり、両国の国交が開かれたのはラマ5世チュラロンコーン国王のとき、1887年9月26日の「日暹和親通商ニ関スル宣言」によってです。 ですから今年は、タイと日本との間に正式な外交関係が結ばれてから120年目の「日タイ修好120周年」の年に当たります。この間、1932年にシャムは、国名をタイランドと改めています。
タイでは干支(えと)の12の倍数を盛大にお祝いする慣わしがあります。そのため今年は、12の10倍という特別な年と考えられ、これを祝って両国で、さまざまな記念の事業や行事が行われます。
記念事業のテーマは、魅力溢れる日本・タイ両国をアピールすることと、交流拡大にあります。今年は特に、両国内において、
(1) 文化・芸術・観光・教育・科学技術・知的交流・スポーツ等、広い分野での交流によって日タイ相互理解を深め、結びつきを強め、
(2) 政府間だけでなく民間の活動によって、日タイ間の草の根レベルの交流を活性化し、
(3) 修好120周年記念行事で共同作業を重ねることで、日本とタイの人々の触れ合いを促進する
ことを大きな目的としています。
まず、1月16日にはバンコクで修好120周年オープニング行事として和太鼓の公演が催され、日本では2月26日に東京・帝国ホテルで記念の式典行事が行われます。
修好条約締結の日に当たる9月26日には、バンコクと東京で記念行事が行われ、東京ではタイ・パビリオンの除幕式も行われます。
このほか、5月12・13日に東京・代々木公園で行われる「タイ・フェスティバル」で、また、バンコクでは12月の「ジャパン・フェスティバル」でそれぞれ、ストリート・フェスティバルを実施することになっています。
日本とタイの皇室・王室の親密な関係も、両国友好の絆となっています。天皇・皇后両陛下は1991年に、即位後最初の外国訪問でタイをご訪問になり、昨年6月にもプミポン国王の即位60周年を記念する式典にご出席されるため、再びタイを訪問されました。 また、昨年1月には、タイのワチラロンコン皇太子と妃殿下が,王子とご一緒に日本を訪問されています。
1900年にラマ5世から贈られた仏舎利を奉安する名古屋市の超宗派寺院・日泰寺もまた、仏教国としての両国友好の結びつきを象徴するものと言えます。
さらには、バンコク都とアジア交流拠点の福岡県、チェンマイ市と蜃気楼で有名な富山県魚津市、双方ともロケット祭りで知られる東北部のヤソトン市と埼玉県吉田町(現・秩父市)は姉妹都市であり、修好120周年を機に、さらに交流を深めようとしています。
今年は修好120周年を記念し、日タイ観光交流年2007でもあります。多くの旅行会社が記念のタイツアーを実施いたします。ぜひご参加になって、日タイ交流の輪を広げてください。
|