[interview]サワディタイランド~日タイ修好120周年親善大使を務める東儀秀樹さん~

9月26日に帝国ホテルで行われた「日タイ修好120周年祝賀レセプション」で、雅楽器の篳篥(ひちりき)を演奏された東儀秀樹さんに、世界の楽器に囲まれたお宅で、お話を伺いました。(10月25日)

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編集部 日タイ親善大使として活躍をされていますが、お話はいつ、どこからありましたか?

東儀 今年の初めの頃に外務省からありました。

編集部 日タイ親善大使になられたお気持ちは?

東儀 日本の伝統文化を担っている人間が、実は1歳から7歳までタイに住んでいてタイが第二の故郷だと大手を振って言えることが、たぶん他の日本人どこを探してもいないんじゃないかなというぐらい役目を果たせると思う。

編集部 日本のこともよくわかり、タイも知っているし、タイの人たちが求めているものもわかるという?

東儀 そうですね。タイに限らず外国人が日本人に求めている、いわゆる当り前の生活習慣だったり、伝統のことだったり、歴史のことだったりを堂々と提示することができること。それが国際人の一番大事なところだと思う。

編集部 タイにいらした時にはどんな生活を?

東儀 僕はインターナショナルの幼稚園に通っていたから、そこに行くとイギリス人やアメリカ人の友達とカウボーイごっことか戦争ごっことをしていて、家に帰るとすぐにタイ人とタイモードになって遊ぶ。かなり順応していたようです。父が商社マンで、その時代の支店長宅はかなり優遇されていて、広い一軒家に住んでいました。誕生日になると庭に馬を連れてきて、友達を集めて乗って楽しんだり、上流階級と肩を並べるような生活をさせてもらえる瞬間があった。今はどんな支店長でも絶対そんなことはできないと思う。タイミングがよかったんですね。

編集部 英語とタイ語と日本語を話されていたんですか。

東儀 そうですね。使い分けていましたね。

編集部 音楽の道を目指そうと思われたのはいつごろですか?

東儀 両親がクラシックを中心にいろんな音楽が好きで、レコードを聞くのが好きだったし、母親なんかは、よく童謡を歌って聞かせてくれたりしました。(僕は)幼稚園の時、買ってもらったハーモニカを初めて吹いたのに、すぐに第九のメロディーを吹いちゃたり、小学校の時に、その頃はやっているテレビで聞いた曲を、次の日には譜面がなくても伴奏つきで学校のオルガンで弾いたり…。その頃にはもう、音楽だったら誰にも負けないものがあるなという自覚を持ち始めていて…。高校の時にはギターを弾いてバンドをやっていて、そういうポップな方面の音楽家になりたいなと思い始めていました。で、そこまで音楽が好きだったら、東儀家としての雅楽に目を向けてみるのもいいんじゃないかって言われて。

編集部 それは楽家に育ったお母さまからですか?

東儀 そうですね。周りから。で、ジャズとかロックに目をむけている人間にいきなり言われてもピンとこないんだけれども、どこかで僕は1300年以上も日本の文化を担ってきている家に生まれていることに対する誇りとか責任感というものを高校生ながらに感じていて、やってみるとは思わなかったけれども否定するというのもおかしいなって感じて。

編集部 そして、高校を卒業して宮内庁に入られたわけですね。雅楽をする演奏する人は楽家の家系の人がほとんどですか?

東儀 昔はそうでしたが、今は半分半分ですね。僕は、そういう人とは全く違う道をのりだったからこそ、古典を重要だと思うんですよ。外国にいたから、より日本を大切にしたいと思う気持ちも高まってくるし、他の音楽をやるから、より古典の雅楽を正当に表現することに重要なものを感じるし、いいことずくめでしたね。自分の国の内面のことを知るということは、外国人が自分の国のことを誇りに思う気持ちもうかがうことができる。そういう意味で、僕は外国人とコミュニケーションをすごくとりやすい立場にありますね。自分の国をひいきにする気持ちを慮(おもんばか)ってあげられる。僕はボーダレスという言葉がすごく嫌いで、ボーダーがあるからこそ、それぞれを大切にするべきだと思う。例えばタイの親善大使になったからといってタイとの国境とかボーダーラインを無くそうなんて思わないし、より明確にボーダーを敷いて、日本の文化とタイの文化の違いを明確にして、日本人は日本の文化を大事にするべきだし、タイ人はタイの文化を大事にするべきだし、そして、お互いに大事にしたものを見せ合ってコミュニケーションをとるというのが本当のコミュニケーションだと思いますね。

編集部 東儀さんの作曲された曲がCMなどで有名になって、雅楽や雅楽器に興味を持つ人も増えましたね。

東儀 よくそう言われますし、実感もありますね。10年ぐらい前までは、日本の伝統文化というと歌舞伎とか狂言とか能ぐらいまでですが、最近では日本伝統文化を楽しもうとかいう時に、必ず雅楽という二文字が雑誌にも入ってきました。やっぱり平安時代の音楽をそのまま何にも変わることなくいきているということに日本人は誇りに思うべきだし、さびとわびだけじゃない雅(みやび)というものがあったことも知った方がいいと思う。まだまだ、満足できないからもっと浸透させなきゃいけないと思っています。

編集部 タイの音楽については、どんな印象を?

東儀 それがね。難しくて。タイにいた時はあまりにも小さくて、タイの音楽についてはあまりにも知らないんですよ。でも、灯篭流しの時に歌う「ロイカトン」の曲とかは、非常に懐かしいメロディーです。タイの民族衣装を身につけて花を川に姉弟で灯篭を流したりしていましたから、そういう風景を思い出すと「ロイカトン」の曲が頭に蘇ってきます。


編集部 最近タイには行かれましたか?

東儀 去年、行ってますね。好きだから、毎年行きたいんだけど、2年に1回ぐらいですね。僕がタイに行く時はバンコクになんとなくいれば気が済むんですよ。で食べ物を、特に屋台、庶民の食べ物を片っ端から楽しむのがメインです。

編集部 好きな食べ物は何ですか?

東儀 何でも好きだけど、クイッティアオ・ラートナー(あんかけそば)やバミーナーム(中華麺のラーメン)、センミーナーム(ビーフンのラーメン)が好き。あと、ドリアンが大好きで、今は安くなったのでしませんけど、昔はイガイガの実ごと買って帰ったりしてました。

編集部 「ムアンタイ」の読者にコメントをいただけますか?

東儀 料理にしても、タイ人気質にしても、とにかく行ってみなければわからないものがいっぱいある。案内されて観光用のレストランなんかへ行くより、自分の足で自分の興味を、アンテナを信じて冒険をしてもらいたいですね。冒険しないと本当のものはなかなか味わえないから。

編集部 今度のご予定は?

東儀 11月11日に日泰寺でコンサート(「東儀秀樹 in 日泰寺 -日タイ修好120周年記念-」)をやります。

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写真は11月6日ワット・アルンの前での公演

編集部 将来、ぜひタイの音楽とかタイの楽器とのコラボレーションを実現してください。

東儀 今度11月6日に、バンコクのワット・アルン(暁の寺)の前で公演をするんですよ。外務省が関連した僕の親善大使のためのタイでのお披露目演奏で、関係者、招待客だけが対象のようです。とりあえずやってみて、次回一般の人の前でやりたいと思っているんですけど…。その時に、タイのプミポン国王が作った「フォーリングレイン」という曲も僕なりに編曲して篳篥(ひちりき)で演奏をしようと思っています。それから1月には10周年になる新春コンサートツアー(~夢語り「雅楽と伎楽」~東儀秀樹/東京は2日~4日、東京フォーラム)を全国的に展開します。


プロフィール
東儀秀樹(とうぎ ひでき)
1959年東京生まれ。母方の東儀家は雅楽を世襲してきた楽家。高校卒業後、宮内庁式部職楽部に入り、篳篥(ひちりき)を学ぶ。1986年から10年間、楽師として活躍。1996年ファーストアルバム「東儀秀樹」でデビュー。雅楽器と近代楽器のコラボレーションやTV番組、CM、映画、舞台等の音楽を作曲し、雅楽及び雅楽器の魅力を広く伝える。著書「すべてを否定しない生き方」など多数。

2007年12月13日
 

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